なぜエホバの証人が同性愛を認めないのか−聖書の言葉
エホバの証人は同性愛を認めていません。その根拠に聖書の言葉があります。
聖書のコリント第一6:9という場所にはこのようにあります。
9 正しくない人が神の王国を授けられることはない,ということを知らないのですか+。思い違いをして*はなりません。性的に不道徳な人*+,偶像を崇拝する人+,姦淫をする人+,同性愛行為に身を任せる人*+,同性愛にふける人*+, 10 盗む人,貪欲な人+,酩酊する人+,ののしる人,脅し取る人が神の王国を授けられることはありません+。
ここで言われている’神の王国’とはエホバの証人が信じる来世的な場所、永遠の命が与えられる楽園です。
エホバの証人は、同性愛者は楽園に行くことができないと考えています。
なので、もちろんエホバの証人本人は同性愛は認めませんし、同性愛者は神の意志に背いている人々 と捉えています。
エホバの証人が考える同性愛の理由
エホバの証人の公式サイトに驚かされる記事がありました。
なんと同性や両性を愛してしまう理由は「注目されたい」「好奇心」だと明言しているのです。
エホバの証人は、性同一障害の人や、同性を愛することに違和感を抱いている人々にこの表現をします。
「あなたはただ、注目されたいだけでしょう?同性愛者の自分を演じたいだけでしょう?」と。
続けてエホバの証人の公式サイトでは同性愛を”汚れたもの”として扱っていました。
同性愛は汚れたものなのです。
同性愛はタバコやギャンブルと同じ衝動?
「仮に,ぼくがギャンブルに反対 で,君が賛成だとしよう。単に大勢の人がギャンブルをしているからといって,君がぼくに考え方を変えろって要求するのは正しいかな」
「たばこと同じだよ。ぼくはたばこを吸わないし,吸うなんて考えるのも嫌だけど,君はぼくと考え方が違っていて,たばこを吸うかもしれないね。それでも,ぼくは君を毛嫌いしたりしないよ。君も,自分と考え方が違うからといってぼくを毛嫌いしたりはしないだろう? 同性愛についても同じだよ」
https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E9%9B%91%E8%AA%8C/g201012/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E8%A6%8B%E6%96%B9%E3%82%92%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%99%E3%82%8B/#?insight[search_id]=2cb32528-a6cb-49d7-a637-ca0cb32cc180&insight[search_result_index]=2
同性愛について、よくわからない例え話がエホバの証人の公式サイトでは披露されています。
これをみて「確かに〜!!」となる人がどれほどいるのでしょうか…?エホバの信者は理解力がすごい….
多くの人がギャンブルをしているからと言って、ギャンブルを強要するのは間違っています。それと同じように、「同性愛をやめないと神の意志に反しているから楽園に行けないよ」と強要するのも間違っているのではないでしょうか…
毛嫌いしないとか言いながら、同性は汚れた物と言っている時点で….
同性愛に対する衝動は暴力への衝動と同じ
同性愛が生まれつきの特質と認めた上で、暴力的な性質と比較してエホバの証人はこう述べています。
「生まれつき暴力的な人が、それを抑える必要があるように両性を愛してしまう人はその衝動を抑えるべきだ」
エホバの証人の矛盾がすごい。
「同性愛という欲求の原因について議論しないようにしましょう。」と言いながら、欲求の原因は「好奇心や注目されたい」という浅い結論を出している。
同性愛者に対するいじめ,ヘイトクライム(憎悪犯罪),ほかのどんな不当な扱いも間違ったことです。と言いながら、同性愛者の行動に対して汚れた物という表現を使っている。
あとがき
時代が多様化していき、多くのことが受け入れられる社会になってきています。
古くからある宗教や習慣は、現代社会で機能しなくなってきているのではないでしょうか?
古代では聖書や聖典が、モラルや律法を確立して秩序の維持に貢献したことは確かだと思います。ただこれほどまで文化が成熟し、多くの考え方や価値観が交差する現代で、他を排除しようとする考え方は受け入れられない物になってきています。
エホバの証人はこの時代に信念を貫くのは難しいでしょう。
それでも彼らはこの難しさを苦難の時と表現して、神様から与えられた試練・これを乗り越えれば永遠の命が待っている…とモチベーションにするのでしょうか…。見習うべき部分もあるかも知れません。